スポンサードリンク

2013年1月25日金曜日

稽留流産後、自然に流産に至るまで

(本文は下に続きます。)

スポンサードリンク
(20140130:画像のURLに誤りがあったため、修正しました。申し訳ありません)
(流産時の胎のうの写真がありますが、その性質上、興味本位での閲覧はご遠慮願います)

前回記事で書いたように、本当は外科的処置(掻爬)を受ける予定だったのですが、自然におりてきて、完全流産となりました。(完全流産かどうかは、3月2日現在、経過観察中です)(追記:最終的に特に処置なく、無事に完全流産したと判明しました)
で、ネットをみていると、稽留流産後に自然に流産をした時のことを書いている方が少なく、ごくわずかな方が書いていることが、非常に役立ちましたし心の支えとなりました。
なので、私の経験談も書いておこうと思います。

1月18日(金)稽留流産の診断確定

1月21日(月)
夜中0時くらいから下腹部痛。出血は変わらず、生理終わりかけくらい。
陣痛のように、周期的に痛む。
「もし手術までに、自然におりてきてお腹が痛くなった時には、もう薬(解熱鎮痛剤)を飲んでいいですから」
と先生に言われていたものの、これまでの習慣のせいで、飲むのをためらう……

3時過ぎ、腹痛が5分おきくらいにくる。痛みに堪え兼ねてロキソニン1錠内服。
下腹部も痛いが、腰が痛い。響くような痛み。横になると、子宮がひっぱられるのかどうかわからないけど、尚更痛いので、座位で耐える。

4時半くらいになると、薬が効いたのか楽になってしまったので、ようやく寝る。

朝になって、じわじわと痛いけれど、夜中のような痛みは治まってしまった。
けれど、これは流産するかも、という予感もあり、職場に連絡して休ませてもらうことに。

15時くらいから、また10分おきくらいに痛みがおこるが、まだ夜中ほどではない。
出血自体は、若干は増えたが、せいぜい生理2日目〜3日目程度。

17時 徐々に一度の周期でやってくる痛みの波が強くなって、腰まで響くようになってくる。が、まだ昨晩よりはまし。

18時 とはいえ痛いので、ロキソニン1錠内服。
このままできるなら流産したい気持ちがあったので、効くかどうかはわからないが、陣痛を待つような気持ちで痛みに耐えながらスクワットしてみたりする。

20時くらいから、痛みが昨晩と同じレベルに。身の置き所がないとはまさにこのこと。
骨盤が割れそうなほど腰が痛いが、出血はむしろ少ない。
もしかすると、子宮口あたりに胎のうがおりてきて、つまっているような状況かも。と思い、ひっひっふーをしてみる。効いたかどうかは不明です。痛みのせいで過呼吸になるのを防ぐ効果はあったかもしれませんが。

20時40分、トイレに行くと「あっ出る」と思わずつぶやいてしまうような妙な感覚と共に、凝血塊と組織塊がするりと膣からこぼれ落ちる。トイレの奥にいってしまったので、必死でかきだして回収。
水で洗って凝血塊を落とすと、ちょうど手のひら大。少し白っぽい球状のものと、それを包む灰白色の組織でした。多分、丸いのが胎のうで、周りの組織が子宮内膜。
出てしまうと、驚くほど痛みが和らぎました。まさに出産の後のような。軽い重だるい感じはありますが、出血も生理3日目くらいから、更に減少傾向になりました。

組織は、ぬれたガーゼで包み、ビニールなどで更に包んだ上、冷蔵庫で保管(腐敗防止のため)しました。

(で、今回流産にあたって困ったのは、この娩出したものが本当に胎のうなの? ということでした。教科書でも見つからないんですが、ネットで探しても画像がない。
というわけで、同じような立場になって困った方のために、画像をアップしています。ただ、一般の方が見るにはグロと言われても仕方のない画像ですので、興味本位では見ないことをお勧めします。あくまでも、私のように困った方のためのものですので。

ttp:https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhjFX3TywE8_r6XjG4wuQqwQ3Tex0a9be6_0Qh3G1rsIKC38u8MK7HA5S0J1HogM172HgKrKeqOyYE3d20jzvT7tx49EdXiH_EdViiey-b3vwOt8hwHby8M14-wyCgGMlODu9wZrZRsoT3E/s1600/attachment00-797000.jpg

上記文字列をコピーし、ブラウザのURLを入力する場所にペースト、最初にhをつければ、見れるはずです(以前のリンクが移動してしまっていたため、再掲載しました)。
一応解説します。全部赤黒く見えますが、よくみると色調に違いがあります。下側の一番濃い部分は凝血塊です。左上、右上にわかれて見えている少し色の薄い部分が子宮内膜、中心部に少しだけ見えている更に色の薄い半円のような球状のものが胎のうです。)


で、この時点で病院に行くかどうするか悩んだのですが、あまりに微妙な時間。
多分当直の先生は、その病院の先生ではない(大学からバイトできてる先生とか)ので、行っても朝まで経過観察のために入院になるかな、と。
腹痛や出血が多くなれば受診するつもりでしたが、結局悪くならなかったので、翌朝の火曜日に電話連絡をし、受診しました。

1月22日(火)
組織は病理提出のため、病院に持っていきました。本当は、自分で弔いたかったですが、検査はしておいた方がいいので。
もし、きれいに出てそうなら、手術はしたくない旨を伝えたため、水曜日の手術は中止に。
エコーでみたところ、内膜は15mm程度、あまり先生から解説は受けなかったのですが、ぱっと見、きれいに出てそうでした。
尿中hCGをはかり、きちんと下がっていくかどうか、基礎体温をつけて高温期にならないかどうか、エコーで子宮の様子をみながら、きちんときれいになるかどうか、それで経過をみてゆくこととなりました。
処方は、メテルギン(子宮収縮薬)、セフゾン(抗生物質)、アズレン(胃薬)3日分。
メテルギンの副作用で、吐き気が……
仕事は、職場の勧めもあって、今週は休ませてもらうことに。

1月23日(水)少し出血が増えましたが、生理二日目を超えないくらい。
薬のせいか、腹痛が少しありましたが、激痛というほどではありませんでした。
薬になれたのか、吐き気は大分ましに。
ただひたすら、寝て過ごしました。

1月24日(木)
出血が急に少なくなり、生理終わりかけの微量の出血に。腹痛も軽減したので、ぼちぼち離床。


といった経過をたどりました。
胎芽の成長からみて、おそらく、心拍停止から稽留流産の診断確定までの期間は数日程度と思います。もしかすると当日かも。
なので、心拍停止から、1週間たたずで完全流産に至ったケースとなります。

これは個人的な感想ですが、気持ちの上で、自分で最後まで面倒をみれたといいますか、きちんと(死んでますが)産んであげれたといいますか、そのことが、流産したということについての気持ちの割り切りに非常に役立ちました。
手術を受けると、寝ている間に処置が行われ、目が覚めたら赤ちゃんはもういません、となるんだなあ、というそのことがどうにもずっと引っかかってました。理性としては、手術の方がいいと思っているんですが。
なので、もし自力で産んでしまえるなら産んでしまいたいと思っていました。
毎日お腹をさすり、ごめんね、生きて産んであげれなくてごめんね、お母さんと一緒にいたいなら、手術まで一緒にいよう、でも、もしお母さんの顔がみたかったら、早く出ておいで、ちゃんと産んであげるからね、と語りかけました。
結果、こうやって手術を待たずに完全流産になったことは、私の心には非常によかったです。痛かったし、苦しかったですけどね。

最期まで、本当に手のかからない子でした。
もしまた、この世にうまれてくることがあるなら、今度はお母さんにもっと甘えていいんだよ。
本当にありがとう。

ばいばい。






今後のことを考える気力が出て来たら、こちらもどうぞ。

 自然に流産した後の避妊期間

 流産後の次の妊娠までの期間はどのくらいがベストなのか

流産後2年してから振り返った雑記です。

 流産から2年経って



気持ちの整理がどうしてもできない時。例えばこういう本を読んではいかがでしょう。
医学的、科学的な部分とは別の部分で、納得ができるかもしれません(人により合う合わないがあると思いますし、医学や科学とは本当に別の話ですので、内容を肯定するという意味ではありませんが、今のあなたを助けるかもしれないと思いご紹介しています)。


いつでも会える (ハートフル菊田まりこの絵本)

菊田 まりこ 学研プラス 1998-11-17
by ヨメレバ
こちらは流産の話ではありません。死について描いた、短い絵本です。
流産や死産の話を読むのも辛い時、こういう本も助けになるかと思います。
いつでも会える。いつでも会えます。私もそう思います。